正解は、沈黙
どうやら講義の途中で寝ていたらしい。いや、「らしい」という言葉を付け足す必要はないな、寝ていたのは間違いない、たった今起きたんだから。問題は、どうやら寝ながらオナラをしてしまったのではないかということだ。いわゆる寝屁である。
しかし、ガスが出て行く瞬間にJCS2ケタであった僕には、その音がファンファーレを掻き鳴らしながら声高らかに出陣して行ったのか、闇夜に紛れる忍者のように音もなく走り去ったのかを知ることはできない。
ただ、肛門周囲にはかなりの体積のものが出て行ったであろう開放感や、あまつさえ振動の余韻のようなものまで感じられる気がするのだ。
ちなみに、寝ている時は机に突っ伏したように寝ており、目を覚ました今もその姿勢から動いていない。
ここでおもむろに上体をおこせば「あいつ、自分の寝屁で目ぇ覚ましよったで」という下卑た衆目の的になることは必定だ。
どうする
どうすれば良いのだ
優秀な人
ときおり、とても優秀な人を見る。
実際に「あ、こいつには敵わんな」って思うことがあったり、ネットを徘徊してて「こいつは優秀や」って思うことがある。
そしていつも「負けた」と思うのだ。
しかし、そう思えることがまだ救いなのかもしれない
そういう感覚がなくなってしまうと、もうおしまいだ。
ただ、そういう人に勝つために何か頑張っているかと聞かれると、特に何も頑張ってないんだなぁ。
しかし、なんか悔しい。
どうすれば人に勝てるのか。
というか、勝つってなんだ。
時間かけて、金かけて
時間は有限、お金も有限
集中力は極限に向かって漸近と言う意味では無限。
学問と勉強
勉強というものは、基本的に暗記である。
先人達の知恵をなぞり、現存する知識体系に深く親しみ、ある程度その知識体系の中を自由に行き来できるようになることが勉強の目的である。
一方で学問とは現存する知識体系に新しく知識体系を構築し付け加えるだと思う。
例えると
よく勉強している人というのは
熟練のタクシードライバーが、幹線道路や裏道を自由に動き回り、スムーズに目的地にたどり着くのに似ている
学問をするというのは、新しく道を作ることと同じである。道路を延長・拡張したり再整備したりして
「今まではここまでしか行けなかったけど、ここまで来られるようになりましたよ」とか「こことここ通りやすくするために立体交差にしときましたわ」とかいう感じだ
頭の中に地図が入っていて、道路を自由に走り回るのが勉強
新しい道路を作ったり、既存の道路を拡張・整備するのが学問
そう考えるとそれぞれに必要な能力が少し違う事が想像できる。
もちろん、学問をするためにはある程度勉強ができなければならないんだけど
誰よりも出来る必要はない。
勉強をすることと、学問をすることは似ているようで実は結構違うのだ。
そういうことだと思う。
積み重ねと吸収の違い
受験勉強というものは基本的に積み重ねだ。
知識量とその運用のスムーズさが得点に直結するので、長い時間をかけて勉強すれば絶対的な得点能力は増加傾向になる。
しかし「テストで得点できるようになった」ことは「頭が良くなった」ことと直結しない。
頭が良いということは、単位時間あたりの新規知識習得量とほぼ同義なのではないかと僕は思う。
数学的な表現をするなら
得点というのはy=f(x)のyを見ており
頭の良さは同式のf'(x)を見ているのだ。
勉強をするときは、yを伸ばすことは最低限の目標だが、f'(x)を伸ばすことも意識しなければいけない。
次はどうやってf'(x)を伸ばすかという事が重要になってくるのだけど、それについてはまだ答えが出ていない。